アルバイトに行って変わった価値観
大学時代の先生が短期でアルバイトを募集していたので応募して2週間ほど勤務してきました。
それまではアルバイトというと大学三年生の時、大手企業のwebデザインチームでアシスタントをしていました。
その先生の事務所は、ふだんは2人、たまに大きな仕事のときはアルバイトを入れて5人ほどになるというごく小規模な事務所でした。そして、それまでの「会社に入ってインハウスデザイナーで」という私の考え方は崩れました。
デザイン事務所って、作業スピードが求められる、クオリティ重視、残業当然、安定しない、小規模であればなおさらやばい、というイメージで敬遠していました。
けれどそれは “経営者” によって、大きく、大きく、左右されることを学びました。
ネットの情報じゃなくて、体験して初めて納得しました。
少人数のオフィスは、静かで、小さな空間で制作していました。
朝は植物に日を当て水をあげ、窓を開けて空気を通して、太陽の光で仕事をする。
前のアルバイト先のように大きな食堂やカフェは無いけれど、小さな空間から大きなものがつくられていると思うとワクワクして楽しかった。
このように企業、大手制作事務所のデザイナーとしてではなく
小さくても理想の働き方がある会社がある。
ということを知れました。
小さい事務所だからって、仕事が小さい訳ではなかったし。
現在は大企業病もすっかりなくなり、自分のやりたいことも見つかり、選択の幅も増えました。
制作を続けながら4年生でお世話になったゼミの教授に大学に会いに行ってポートフォリオや作品をみせています。
進捗があればまた。
整理のための記録
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こんばんは
まだ就職してません。
ちょいと自分の状況を整理するためにもブログにさせて頂きます。
まず東映の助監督、これは落ちました。理由は、
・1つめ
「経験が無い」という点
私は映像学科でも無く、映画の専門学校でもなかった。
ただ卒業制作で、インフォグラフィックスとそれに伴うインタビューの映像作品を制作した。これが評価され最終までいった。
・2つめ
東映の今の作品が好きじゃなかった。
「ノンフィクションやリアリティのある作品をつくりたい」「五番街夕霧楼や仁義無き戦いのような作品が好きです」ということを言った。
他の人たちとお喋りしていたら、映画の専門学校です、映像学科です、卒制映画です、なかには昔法学部卒業して銀行マンだったけど現在映像の制作会社に居ますなんて人も。
それにみんな、東映の作品に詳しいのなんのって。いまの東映の作品がすき!という気持ちにあふれてた。そりゃ私は選ばれないよなあ〜〜
年齢不問未経験者可とはいってもそれなりに敷居は高かった。あとみんな20代だった。
2つめ
こちらも最終までいきましたが、落ちました。理由は
1つめ
実技。
これは完全に自分の準備不足
自分の納得する出来には仕上げられなかった。
2つめ
お偉い方との考え方の違い。
最終面接での私「読者の生活に寄り添うグラフィックを作りたい、クライアント優先の誇大広告に抵抗がある」
説明会での偉い方「博報堂や、資生堂のような総合デザイン会社を目指す」
上の方の目指すものと、自分の目指すものが違ったなあと、今は思います。
これが最終まで行ったけど、だめだった会社
これをふまえて思うこと
- 自分の尊敬する仕事をしているor目指している
- 自分の作品がその会社にあっている
ことが私の就活の上で必要だとおもいました。
自分の周りには、
人のためになる商品を開発する!と意気込み大企業に就職したけど会社の内状が真っ黒で心を病んで退社した人(理系、実験と商品開発)
昼夜を問わない激務で心や身体を壊した人(美大、テレビ美術)
上司に叱責されすぎて鬱病になった人(美大、文房具デザイン商品開発)
などたくさんいます。
兄弟、友人、先輩、自分の周りにそういう人がたくさん居るということは、自分もそうなってしまう可能性があるのだと言い聞かせ就活しなくてはいけないと、今は考えています。
人によると思いますが(私の恋人はとにかく紙ものがやりたい!という人で修行のつもりで広告制作会社に行きました。朝10時出勤、良くて終電退社、悪くて朝5時退社。年俸制なので残業代は出ません。)
恋人は「自分で仕事を回せるスキルが身に付くまではここで頑張る」と言っています。いまのところ元気です。
ひとによって考え方が全然違うと思いますが、
とりあえず私の状況を整理して書いた心の記録です。
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今日の就活
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軽くてちょうどいい手帳を購入
無印で手帳を買い2月の最終日に『就職が決まっている』と書き込みました。
内定済みの彼氏は「社会人の練習!」と黒を購入していました。
就職が決まっていないあなたも、就職が決まっているあなたも是非。
手帳は楽しい。
私はこれです。彼氏はこれの黒
日々を書きます